超駆け込み万博行。そして仮構された巨大なユートピアについて
完全に更新が滞ってしまっていたのだけれど、思考と執筆の基礎トレーニングとしてやはり定期的に文章を書くべきだなと思い直し、これからは極力毎週1本、なんらかのテーマに沿った一筆書きのニュースレターを書けたらと考えている。
昨日TALK LIVEがあったので、本当はその振り返りを書くべきだとは思うのだけれど、今回は書きかけだった大阪万博の話。僕が訪れたのは9月末で少しだけ時間が経ってはしまったのだけれど、ちょうど昨日が最終日だったので、結果的に悪くないタイミングなのではないかと思う。
万博について書くことにあまりポジティブな気持ちになれないというのは、多くの人に共感してもらえるところなのではないかと思う。そもそも開催の是非というレベルからずっと議論が絶えないし、維新との関係性もきな臭いし、一部の左派勢力からしたら万博に行ったりそれについて言及したりしているだけで“体制側”、というような雰囲気すらある。だから自分もそもそも万博に行くべきか、行ったことを発信すべきか迷ったのだけれど、開催されてしまっている以上は反対を叫び続けるよりも具体的な課題や対案を考える方向性のほうが建設的に思えたし(繰り返しになるが一部左派からしたらその時点で“加担”なのかもしれないが)、たんに仕事の関係上見ておくべきものがいくつかあったという実際的な事情もあるし、何より何十年に一度の国家的イベントをいちど目撃しておきたいという野次馬・よくないメディア人根性が勝り、足を運び、その旨を公言していくことにした。
というわけで9月末、お店や編集仕事の合間でなんとか捻出した1日で、前日も夜まで編集仕事のイベント運営で疲れもたまっていたところではあったけれど、なんとか朝イチで新横浜から東海道新幹線に乗り、大阪へ向かう。余談だが、白楽付近に住んでいることのメリットの一つとして、新横浜までドアドア30分以内で着ける、というものがある。だからここ数年、編集仕事の関係で行くことが増えた京都なんかはかなり体感的には近く感じる。
新大阪駅で新幹線をおりると既にかなり万博ムードで、そこかしこにミャクミャクが見える。夢洲までの乗り換えで使う弁天町駅はたくさん警備員が配置されていて、もはやここから万博の入場が始まっているような雰囲気。そして乗り換えた先の、夢洲行きのOsaka Metroはほぼ満員。平日でこれだから、夏休みとか土日とかはもっと超満員なのだろう。
何より印象に残ったのは、地下鉄のアナウンス。夢洲駅が近づくと急にハイテンションで「驚きと感動に満ちた夢島へ。さぁ、夢の国へ行きましょう!」と煽り立ててくる。ゲレンデの有線のようなチープな音質で流れる、コブクロのテーマソング。直観的にかなりのディストピア感というか、居心地の悪さを感じた。幼い頃よく見た映画『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』を彷彿とさせる、特定のムードに否が応でも持っていこうとする強い意志を感じた。ただ一方、近くにいた大阪弁のおっちゃんたちはそんなアナウンスなんてお構い無しに、帰りにどこで飲むかという話題で持ち切りで、大阪で暮らす人たちのリアリティというかたくましさも感じた。
そうこうしているうちに夢洲駅に到着。流石に混雑はしていたけれど、想定の範囲内ではあった。事前に調べていた情報によると入場までに2時間くらいかかるということで、12時入場のチケットでを持っていたものの会場には10時半頃に到着。12時入場の列も既に長蛇。覚悟はしていたので、列に並びながらゆっくり読書。BGMはスピーカーから流れる、おそらくさまざまな出展国の伝統音楽(たまに雅楽)で、無印良品のような趣。慣れた手つきで携帯用の椅子を取り出して座る人々も多く、さながらフェス。ただ9月末で涼しくはなってきていたものの、依然それなりに陽射しはキツく、真夏はかなりヤバかったのではと推察する。
ちなみに万博行きにあわせて、クラファンを支援させていただいたZINE『万博を解体する』、そして最近ゲンロンから刊行された『未完の万博』に目を通していた。同世代の建築家やデザイナーたちが、実存的な葛藤も抱えながら万博との距離感を探っていくような前者と、20歳上くらいの有名建築家たちが縦横無尽に(でも楽しそうに)万博論を語り倒す後者との温度感の違いが興味深く、なんというかこのどっちつかずで右往左往する感じ(ネガティブな意味ではなく)が僕も含む90年代前半生まれの特徴なのかもとかも思ったり。
そうして約90分の立ち読書を経て、12時過ぎには、空港のような手荷物検査を経て、入場。会場のスピーカーから、やたらと鳥の鳴き声の録音が聴こえてくる。
記念写真用のミャクミャクには長蛇の列。それにしても、このどう見てもおぞましい不気味なキャラクターがこんなにも浸透し、愛されているのは、つくづく不思議だ
さて、まずは今回の万博のシンボルとも言える「大屋根リング」を一通り見てまわる。予想はしていたが、圧巻だった。言い古されていることだけれど、こんなにスケールの大きい木造建築は見たことがなく、ただただその迫力に圧倒されてしまった。中から見ると神社を思わせる構造になっていて、それもまた圧巻。
しかしただ大迫力なだけではなく、上に登ってみると、とても気持ちのいい公園のような趣。人もそこまで混雑しておらず、レジャーシートを広げてピクニックをする人々も多かった。僕もつられて持ってきていたパンで簡単な食事をとる。しかし、嘘のように気持ちのいい空間だ。それ自体がバーチャルリアリティというか、ユートピア的な空間。水の音を生かしたアンビエントミュージックがBGMに流れており、後ろに連なる山々もあいまって、天国に近い場所のような趣すらある。さらにこれもよく言われるように、会場全体を大屋根が取り囲んでいる構造ゆえに、場所もわかりやすく機能的にもすぐれている。
その後、約1時間半ほどかけて、一通り構内を歩く。とにかくすごい人で、ほぼすべてのパビリオンが予約していないと入場不可、あるいは1時間以上待ちでなすすべなし。2〜3時間待ちのパビリオンもザラにあり、手慣れた様子で折りたたみ椅子に座ってくつろぎながら列に並ぶ人々も多く見られた。
ただ一応、中央部にある「静けさの森」や売店・休憩所など、休む場所もそれなりにある。僕もさすがに疲れたので、アイスコーヒーとカップアイスで一休み。この内部に森があるという構造も、なかなか普通のテーマパークにはない面白い仕掛けだ。
そして、唯一チケットを持っていた落合陽一さんのシグネチャーパビリオン「null2(ヌルヌル)」の入場時刻までまだ少し余裕があったので、『未完の万博』でも触れられていたチェコパビリオンがちょうどnull2の隣、かつ30分待ちくらいだったので、列に並ぶ。これが大正解で、アートを眺めなら回廊をのぼっていくシンプルな構成。人混みに疲れた心身に沁みる。そしてなんと屋上はチェコビールのちょっとしたビアガーデンになっている。ここでビールを飲まない手はない。ここは天国か?と錯覚しそうになる。
そうして元気を取り戻して、null2。流石に素晴らしかった。その素晴らしさに関しては多くの人が語っているので詳しくは語らないが、1970年の大阪万博のテーマソング「こんにちは」をもとにAI生成した楽曲「さようなら」に思わず涙しそうになる。パビリオンの基本的な世界観として、AIの発展により「知性」とおさらばしていくというコンセプトなのだけれど、知性に対する情緒的な名残惜しさのようなものを自分は持っていたのだなと気付かされる。落合さんと言えば一時期よく「質量への憧憬」をテーマに作品をつくっていたけれども、今回は「知性への憧憬」が裏テーマ無ようにも感じた。
そうこうしているうちに、夕暮れ時に。焼けの大屋根リング。周囲の海と調和した景色、おそらく録音した虫の声。疲れやたまに吹く涼しい風もあいまって、とても気持ちよくなる。またしてもユートピア的だなとあらためて思った。
他にも若手建築家によるトイレなどはいくつか見てまわったものの、約5時間ほどでタイムオーバー。もちろんこんな短時間で見られるものには限界しかないが、万博という空間のもっているユートピア性のようなものを、とりわけ大屋根リングから感じ取ることができた。人混みや長距離の歩行による疲労と、大屋根の嘘のようなユートピア的空間。まるで交互浴かのような振れ幅に身を任せているうちに「ととのって」くる。その半ばトランス状態のような状態をつくり出すことこそが、万博の大きな作用のひとつだと思った。
そして同時に、末恐ろしさも感じた。この仮構されたユートピアで感じるトランスは、あきらかに僕らを思考停止に追い込む。万博の是非について冷静に判断する理性を失わせ、「万博」というポジティヴな共通体験をもった想像の共同体へといざなう。この圧倒的なパワーのようなものは、現地に行かないと体感できなかったし、それを踏まえて、万博、あるいはそれに限らず国家的興行について勉強し、判断し、行動していかなければいけないと思いながら、会場を後にした。
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